18 Jul 2021
私たちの先輩のお母さまが、先輩の闘病についての色々なお話をしてくれました。
慢性白血病。生存率二十%で抗がん剤治療。
普通の日常が急変する。
突然、白血病の中でもたちの悪い慢性白血病にかかってしまう九歳のなっちゃん。
泣くことしかできず、暗い考えであった両親は色々な治療を終えた後のなっちゃんの言葉、
「生きるために頑張るから。」という言葉を聞き気持ちが変わった。
これがたった九歳の自分の娘の言葉なのかと思った。
それからなっちゃんの前では笑顔を保った。
そして、なっちゃんは肺にカビができてしまう。
四十三度の熱が出ていた。
そんな病気なんかに、
白血病なんかに負けて娘を連れて行かれてたまるかという想いだった。
学校から応援BOXが届き感動した。
娘に聞こえているか分からなくても、
泣きながら届いたBOXの中のメッセージを読み続けた。
当時、白血病になる前に面倒を見てあげたり入学式の時にエスコートをしてあげた一年生の叔母さんが、
白血病などの専門医だった。
そこで病気を詳しく診ることができるとその一年生の家の人から言われて、
新宿の病院から大阪の病院に移った。
新宿の病院では、放射線を使った治療だった。
将来、子どもを産めなくなるかもしれないことからあまり気は進まなかった。
大阪の病院では放射線治療ではなく、
どちらかというと自然に治す方針だった。
なっちゃんや他の院内の「戦友」達は学校に行きたい。
皆と同じ生活がしたいと心から願っている。
車椅子で頑張って、辛うじて院内学級に行く。
だがすぐに体調を崩し戻って来てしまう。
また、なっちゃんの院内の友達、戦友は現在誰一人としていない。
昨日までいた戦友がいなくなっていくのを見ながら、
明日は我が身かと怯える毎日だった。
今その子達の分も幸せに生きねばならない。
それからドナー探しをした。
ぴったりの骨髄が見つかる確率は六万人に一人か十万人に一人。
しばらくして偶然ぴったりの骨髄のドナーさんが見つかった。
骨髄は新鮮な内に届けなければならない。
なんとか無事に急いで骨髄を届けてくれた。
骨髄を入れ替えた後も強い拒否反応が出たが助かることができた。
一番頑張ったのはなっちゃんで両親などは微力だ。
けれど親として大切な命を守る気持ちは、誰にも負けない。
辛いことばかりではない。
普通の日常は本当に幸せ。
分かっているつもりで、娘が白血病になるまで分かっていなかった。
そして、一生懸命に生きることが一番の恩返し。
周りに心から感謝して欲しい。「縁」を「絆」を大切に。
した良いことは必ず返ってくる。
困っている人がいたら、手を差し伸べて欲しい。
いじめなんか絶対に駄目。絶対に自ら命を落とさない。
誰かに相談して欲しい。
壁を乗り越えて苦しんで、その先に幸せがある。
心の強い大人になって欲しい。
凄い話だった!! 大変さが本当によくわかった!!(6年男子談)
本当に有難うございました。
By Apollon 6th